近所の神社

とはいっても、歩いて数分のところだけど
今のところへ引っ越してきてから約7年、先月初めて行ったという・・・・(-x-;
昔から神社好きだった割には行っていなかったなと思い、先月末に行ってみた
家に囲まれ、こじんまりとして静かなところだった

入ってすぐのところに看板が立てられていて、読んでみたらこの神社の御神木(樹齢400年前後の銀杏:イチョウ)は枯れてしまい切り倒されたらしく・・・
日付を見たら引っ越してきた3ヵ月後に切られていた
もっと早く気づいて行っていたら、御神木見られたのに…(;´Д`)モッタイナイ
その代わりといっては何だけれど、お社の入り口に大きな木が2本立っていた

祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)
室町時代には祭祀が行われていた古社らしい

そういう場所が身近にあるのは凄いなと思う
年に一度賑やかなときがあるから、そのときにまた行ってみようかな

言葉と意識と行動と

すべては繋がっているそうで・x・

ここから先は見聞きしたものなので正しいかどうかはわからない。
だけれど、なにか役には立つのかもしれない。

言葉を発する→(無)意識に刻み込まれる→(気がつかないうちに、(無)意識に刻まれた)行動をとる

というサイクルが発生するらしく。
自分の言葉を一番聴いているのは自分な訳で、相手に言ったはずの言葉も自分に刻み込まれるそう。
相手に言ったとき、言われたのと同じくらい心が痛んだり、気になるのはそのせい・・・とか

無意識の部分は知らず知らずのうちに、色々な情報が入る。
好きと嫌い、良いことと悪いことなど反対の感情も[すべて同じ]に刻まれる。
そしてその情報から[(良い・悪い関係なく)その人が強く望むこと]を行動させてしまう

たとえば、他人に不信感を持って自分に否定的な事ばかりを言っている人。
「自分なんて、誰にも相手されないし、どうでもいい・・・」と、その言葉を口にするたびに無意識下に[自分否定+他人拒否]という気持ちが蓄積される。
→[無意識からの行動(周りの人に話しかけられても信用できずに避け、拒否する)]
→誰も話しかけなくなる
→「ほら、やっぱりこうなるんだ。みんな自分なんてどうでもいいんだ」と思う(気分のせいだと気がつかない、もしくは自分のせいだと思いたくない)

というのがあったりするそうで。
でも結局、それは「自分が望んだこと」を「無意識が叶えている」という風にも言える・・・

それでも、結局は自分で気がつかなければ同じことの繰り返しになってしまう・・・・・
気がついたら、ゆっくりでも良いから否定的な言葉を言わないようにしてみたら良いのだと思う。

それでも、怒りや悲しみや憎しみとか出てくるときもあるけれど、その気持ちは自分でいったん受け入れる。
ちゃんと受け入れてから、手放す。
辛い時は幸せなことを思うのは余り出来ないけれど、それでも明るい言葉を口に出していると割と良いことが起きる確立が多い気がする。
こういうのが言霊って事なのかな?と思った。
わからないけどw

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